映画『人生をしまう時間(とき)』

映画「人生をしまう時間(とき)」

以前読んで感銘を受けた「死を生きた人びと 訪問診療医と355人の患者」をベースに、その著者と所属する在宅医療ステーションに密着して、さまざまな死を迎える人々をとらえたドキュメンタリー。

視覚障害のある娘と暮らす末期がん患者の老人。これまた末期がんである50代の娘と介護する高齢の母。近所に暮らす娘がいながら独居で死を迎える女性。

さまざまなエピソードがあるが、どれも高齢者の生と死を美化することなく鮮明な映像でとらえている。

子どもとか若者の死を対象にしたきれいなドキュメンタリーは多いが、本作品は違う。それは自分の身近な者がいつかなるものであり、自分もいつかはなるものである。

実際、100歳超えた独居老人の死にあたって、娘やソーシャルワーカーに「おつかれさま」と声をかけられて逝く姿は崇高であり、美しささえ感じた。自分はどうやって逝きたいのかを考える材料がここにはある。

現代の医療は死を敗北と信じ、できるだけ延命することを目的としている。その一方でもう手の施しようもなくなった病の人々に、治療するでもなくただ寄り添うだけの施設がインドにある(マザー・テレサの死を待つ人の家)。

これまで患者に何もできないことから目を背けていた、と登場する医師が語っている。これからもそれでいいのか、と。

「死を生きた人びと」には、肉親の老いや死を現実と思えず、高齢の親を病院に送りそれから目をそむける人が多数いるとの指摘がある。

映画の中では医師が看護にあたった家族に「あなたこそおつかれさま」とねぎらっているのが忘れられない。死を看取ることは死にゆく人のことでもあり、それに深く関わる家族の人生のことでもあるのだ。

私はできれば体も言葉も自由にならず、周りに迷惑をかけつつ、しかし死とはこういうものであると、若い世代に目の当たりにしてもらって死にたいと思っている。