『知的障害のある成人男性の性的欲求と支援――語りと連帯が変えてゆく、まわりの人々との関係』石黒慶太

『知的障害のある成人男性の性的欲求と支援――語りと連帯が変えてゆく、まわりの人々との関係』石黒慶太

タイトルにある通り知的障害者の成人男性の性的欲求とその支援をテーマとした論文集。

このタイトルであれば実践的な知識や支援者に役立つノウハウやを期待してしまうが、本書はむしろ現代社会への考察が主な内容でありエピソードや実例紹介がかなり薄い。

本書にはもちろん当事者、支援者、当事者の家族などへのインタビューがある。しかし、その内容よりも手法と分析方法にかなりの項を割いており、ナラティブ分析、エピソード記述への説明とそれを用いたインタビューの実践についてが手厚い。

しかし、本書のテーマである「知的障害者の成人男性の性的欲求とその支援」については残念ながら内容が薄い印象を持った。

つまり、主に現代日本社会の健常者意識やその視点に課題を指摘することが多く、一方でそれへの実際的な解決策がない。つまり、抽象的な議論に終始し、実践者にとって意味あるものになっていないのだ。また、本テーマについて海外の状況に触れることが少なく、幅の広い理論展開になっていない。

本書で取り上げているエピソードにしてもインタビュー対象者は①当事者とその父親、②支援者(男性)、③支援者(女性)、④当事者(数人の支援者が同席)、⑤支援者(セックスワーカー)であり、400ページ近い大部でありながらこれでは具体例が少ないのではないだろうか。

しかも、本書の手法はインタビューから著者が一部を抜き出してそれに分析を加えるというものである。著者の理論展開に興味のない読者には興ざめであろう。


私が本書を読んで特に疑問に感じたのは「知的障害者の性的支援とエロスを別物と考えることが可能なのか」ということである。射精は生理行為に過ぎないのだろうか。セックスは射精によって完了するものなのだろうか。それが私の疑問である。

それを伴わない性的行為もあるということは男女問わず十分理解されているだろう。知的障害者に限ってセックスとは射精によって解消されるものだという根拠はどこにあるのか。

そもそも性の深遠さについては文学や映像に多くの作品があり、性意識の変化や時代の推移に伴って継続してアップデートされている。エロ・セックスは永遠に廃れないコンテンツである。

だからこそこの論文のアプローチは、そうしたコンテンツに比較して「知的障害者と性」を考察するのに有効な手法となりえるのだろうか。本書を読んでいてそうした疑問が離れなかった。


一方で知的障害者を対象にした専門の風俗店が多くあることも指摘したい。本書にもセックスワーカーからNPO法人を設立した人のエピソードがあるが、ビジネス(金儲け)をドライビングフォースとした産業の方がより効率的な解決策を提示できる可能性がある。

もちろんセックス産業は障害者から搾取するものであるとの指摘もあるだろう。しかし、それはいずれも当事者以外の見方である。当事者は実際どう思っているのだろう。調査研究であればそこにフォーカスするべきではないか。


上記で障害者の性に関する文学について触れたが、知的障害者の性については実際に文学上の成果が少ないとは言える。それをちょっとしたスパイス程度に取り上げた作品はあるが正面から取り上げた作品が存在していない。それについては私もこれから調べたいと思っている。


ところで本書で取り上げている「七尾養護学校事件」については初見だった。地元で付き合いのある団体で女児を対象とした性教育を支援している団体がある。それがある区議会議員のヒステリー的横やりで事業停止に追いやられたことを思い出した。

自分の見たいものを自分が見たいようにしか見ない者がいる。それが権力者である場合もある。そうした時には第三者の冷静な指摘が効果的だと思う。