『私の見た人』吉屋信子

『私の見た人』吉屋信子

昭和38年、信子が70代になってから朝日新聞に掲載されたエッセイ集。これまで読んできた吉屋信子評伝でおなじみのエピソードが盛り沢山だった。作家をはじめ多くの著名人や俳優、音楽家などを取り上げているのだが、私は特に「うまくいかなかった人」が心に残った。

例えば講演会の後、雨の中取り残されたオペラ歌手の三浦環をタクシーで自宅まで送り届けたこと。徳田秋声を誘惑し、やがて出奔した山田順子と後年鎌倉の街角で出会ったこと。その頃は時の人ではなくなった巌谷小波と江見水蔭との寂しい会食のことなど。

いずれも人生の浮沈を過剰なセンチメンタリズムもなく、それでもこうして取り上げて文章にするところが佳き成熟というものではないかと思った。

一方で信子の権威的な男性に対する嫌悪はその年齢になっても明らかである。浅草オペラ館での永井荷風との出会いとそれを荷風の日記に記されたこと。徳冨蘆花の亡妻、愛子夫人のことなど。幼児のように意味なく威張り散らす男性への反感は徹底していた。