『コード・ブッダ 機械仏教史縁起』円城塔
ネットでは評判が良いようだがダメなものはダメと言わないといけないのではないか。がんばって最後まで読んだが結局この小説のどこにもテクノロジーや仏教への畏敬の念や尊敬が見当たらなかった。それどころか小説というものへの真摯な態度が見当たらなかった。AIが自らをブッダと名乗ったらどうなるのかというワンアイデアだけで350ページを書き続けただけの小説である。
世の中にあまたある技術系ライターが技術や製品について書くときにはある種の興奮やリスペクトが伝わってくるものだが、ここにはそれはない。AIチャットボットや銀行系システム、IOTについての理解がないのでただ適当に摘んだだけという感じ。2024年の出版というのが信じられないくらい時代遅れのテクノロジー理解だった。
仏教についても同じでそこにあるのは体系的な歴史理解だけ。祈りと救いへの人間の営みへの畏敬がない。そもそも各時代の各文化への仏教がどのように受け入れられたのか、あるいはどのように拒絶されたのかという深みがない。日本仏教で浄土宗、日蓮宗、禅宗がどのような社会背景で興ったのか調べてみたことがないのではないか。円城は『南無阿弥陀仏』(柳宗悦)くらいは読むべきだろう。巻末の参考文献リストを見てさらにがっかりした。
また、小説としても真剣さに欠けるもので、そもそも宗教とテクノロジーをテーマとしたものならば書きぶりに工夫が必要ではないか。それは構成であったり文体であったり人物造形である場合もあるが、この本にはそうした工夫をこらすという熱意がまったくない。本書は初出が『文學界』という純文学誌の連載だが、作家も編集者も共に純文学というラベルに寄りかかっているのが見えてうんざりした。