ヨコハマトリエンナーレ2011(BankART Studio NYK会場)
ヨコハマトリエンナーレ2011(BankART Studio NYK会場)
BankART会場の目玉はアピチャッポン・ウィーラセタクンの一連のビデオ作品とクリスチャン・マークレーの「The Clock」だろう。
ウィーラセタクンは2階に大きなスペースを取って3つの部屋で7本の作品を上映していた。ビデオ作品なのですべて見るのに時間がかかる。私は各階とこの部屋を行き来しながら、ほぼ半日をここで過ごした。
タイの田舎で若者が無為に過ごす様子、ある事件の記憶についてのモノローグ、ミリタリーごっこをする青年たちなど、いずれの映像も脈絡が無いのだが、繰り返される映像を見ているとゆったりとした時間の流れが心地よくなってくる。
やることがないのに時間だけが限りなくあった子供の頃の夏休みのことを思い出した。これがアジア時間なのだろうか。それが自分の中にもしっかりとあることを認識した。
クリスチャン・マークレーの作品は2009年のヨコハマ国際映像祭でも見た。この作品「四重奏(ヴィデオ・カルテット)」は古今東西の映画の音楽のシーンを編集した見事な映像作品だった。
今回のヴェネチア・ビエンナーレ金獅子賞受賞の作品「The Clock」も誰もが楽しめる作品。監視ボランティアでこの作品の前に立ったのだが、来場者が入ったきりなかなか出てこない。普通の映像作品なら終了と同時にゾロゾロと出てくるものなのに。
どのシーンから見始めても惹きこまれて、いつ切り上げたらいいのか分からないのだろう。それだけ惑溺感がある映像の洪水だった。
夕刻からの方が面白そうなシーンがありそうだし、深夜とか夜明けの頃も気になる。一度は24時間上映してほしいものだ。
ところで、組織委員会の関係者によると、横浜美術館には空調などの管理された空間でしか展示できない古典作品などを展示し、BankART会場にはそれ以外の作品を展示したとのこと。
確かにBankART会場1階のデワール&ジッケルの粘土のカバやイエッペ・ハインの霧の作品のある部屋はかなりの高湿度だった。ここで監視ボラをやったのは酷暑の時期だったので体力の消耗が激しかった。
また、ヘンリック・ホーカンソンの「倒れた森」は虫がいてもおかしくないくらいの立派な森だし、塩のランプのあるシガリット・ランダウの部屋は逆に極低湿度だったので監視に立っていると喉が痛くなった。
昨年の新潟市美術館でのカビや害虫問題が記憶に新しいので、そうした振り分けも仕方ないかなと思うが、現代アートの国際展でそれでいいのだろうかと疑問もわく。
むしろ美術館なのにこんなことを、とかオルタナティブスペースでこんなにオーソドックスな、のような驚きが欲しかった。例えば横浜美術館に入ってすぐの中央ホール、イン・ジウジェン作品のある場所にあの「倒れた森」があったらどうだろうかと空想してみる。天井の高さも十分だし採光もいい。
以前の投稿に書いたが今回のBankArt会場はすっかり閉ざされてしまって、運河沿いという絶好のロケーションが台無しになっている。外階段を出入り口に使うなどの光を取り入れる発想はなかったのだろうか。2008では奥の非常階段まで使って順路としていたのに。
横トリ2008のことだが、3階の中西夏之の部屋で監視ボラをしている時、窓の日差しが時間帯によっては作品に直接当たってしまって、慌てて運営ディレクターに申し入れたことがあった。しかし、作家の返事は「構わない」。
後日、作家本人と話す機会があり尋ねたところ、「作品をお嫁に出すつもり(記憶が定かでないがそんな意味だった)」でこの場所にしたとのことだった。作品を保護するどころか、場所によってどう変わっていくのかが楽しみという発想に年季の入った前衛魂を感じた。