池袋モンパルナス展@板橋区立美術館
戦前から戦後にかけて池袋駅西口から要町、仙川周辺にアトリエ村があった。村と言ってもアトリエ付きの賃貸住宅が密集した地域という意味らしい。そこでは麻生三郎、靉光、松本竣介、福沢一郎らが集い、多様な芸術運動を繰り広げていたという。
今回の板橋区美の企画展はこのアトリエ村、池袋モンパルナスに関わりのある作家を集め、その時期の作家たちの関わりや日常の様子を伝えるもの。同美術館の収集テーマが池袋周辺で活動した近代の洋画家ということで、まさに掌中の企画だった。
長谷川利行の「水泳場」(1932)は隅田川をせき止めて出来たプールを描いたもの。長谷川らしく色彩のセンスの良さは圧倒的。同時代に同じ感性を持った人はいないのではないか。大正時代の隅田川というよりは平成のとしまえんプールのようだ。
靉光の「自画像」(1944)は兵役招集を間近に控えた作家の心のありようが伝わってきて胸に迫る。右上を向いた視線は制作中の作品に向けられているのか、それともどこか彼方を見ているだろうか。胴体を大きく残したアンバランスな画面構成が未完成な感じを残している。
北川民次を初めて知った。なんでも戦前にアメリカやメキシコで壁画運動や美術教育運動に関わった方らしい。「ランチェロの唄」(1938)は音楽とダンスのある風景を幻想的に描いたもの。同時代の作家の深刻な表現とは一線を画するラテン風の享楽的な表現。忘れずにおこう。
野田英夫の「婦人像」(1937)はもしかすると奥様か。ふんわりとした世間離れしたお嬢さんのように描かれている。
田中佐一郎の「黄衣の少女」(1931)が忘れられなかった。構図のバランスが不安定。また、少女が抱えている人形が人形らしくなくてさらに不安な感覚。フォービズムは勢いがあるというが、そのエネルギーは決して建設的ではない。いつでも無方向で衝動的。
ところで、板橋区美の企画展はいつもアーカイブが充実している。今回は吉井忠の日記から戦中の池袋モンパルナスの出来事や日常を引用したものが興味深かった。
その日記の中で印象に残ったのは、福沢一郎が独立美術家協会から脱退したときのくだりと、福沢の逮捕と釈放のくだりだった。福沢が取り調べ中に検事らとシュールレアリズムとは何かについての議論をしたことが書いてある。
また、アトリエ村に焼夷弾が落ちたときに、ある画家の細君が活躍したことも書いてある。極めて具体的な記述で、当時の芸術家の日常を知るために貴重な資料だと思う。
ガラスケースに「池袋作家クラブ 第1回展覧会」のチラシがあった。会場が「高貴荘」「コテイ」「紫薫荘」「セルバン」とあり、池袋駅西口のカフェなどに分散していたらしい。芸術家が住むアトリエ村といい、カフェでの展示会といい、戦前の池袋はまさにアートエリアだったのだ。
会場の床にはそのアトリエ付き賃貸住宅を実寸平面で再現してある。立ってみた感じでは玄関、台所に、3畳の和室、4坪ほどの板張りのアトリエと意外と充実している。制作の参考に「アトリエの謎」展示図録とある。そんな展示会があったのか。とても興味をひかれる。
私は、こうした賃貸住宅を誰が用意したのだろうかと気になった。当時の世相から自治体や国が文化施設を用意したとは考えにくい。であれば民間事業者の手配か。だとしたらこれは採算がとれたのだろうか。あるいは、池袋には芸術家を誘致し、文化活動を支援する気概を持った有力者か地主が何人もいたということかもしれない。豊島区役所にアトリエ村資料館というのがあるらしいので、訪ねていって調べたい。