「館林ジャンクション 中央関東の現代美術」@群馬県立館林美術館
「館林ジャンクション 中央関東の現代美術」@群馬県立館林美術館
せっかく高崎まで行ったので以前から行きたかった館林にも行ってみた。しかし、同じ群馬県とはいえ遠い。高崎から一駅だけ新幹線に乗ってしまった。そうして着いたいかにもローカル駅らしい東武伊勢崎線多々良駅から徒歩で向かうと、10分ほどで広大な小麦畑が揺れる美術館のアプローチに着く。
企画展は館林を中心にした北関東の作家によるグループ展で、大型の立体、平面、インスタレーション、コンセプトとややとりとめのない感じ。
入り口正面の眺めのいい展示室でみた吉本義人の金属による造形は、バランス感覚と腐食のテクスチャが心地いい。小川精一の陶器のシリーズと併せてアート空間にいることの快感を満喫した。
その他の展示では藤井龍徳の環境告発的な作品が目についた。
木材が何本も立っている展示室。ぐるっと回ってみるとその一本一本に墨で何かか書かれている。そうするとこれは卒塔婆なのか。周囲の壁には濁った水の入ったガラスチューブやビニール袋が掛かっており、それぞれには渡良瀬川など、取水された場所が書かれている。
これはやはり環境破壊をテーマにした作品なのだろう。フクシマ以来多くの作家がこれをテーマにすることが多くなったが、ちょっと考えてみればこの問題は昨年から始まったわけではない。渡良瀬川の鉱毒事件や渡良瀬遊水地の強制退去などについて、わざわざ思い出さなければならないことを恥ずかしく思った。
また、たとえ社会的テーマであっても作品は造形であり、造形には美意識に基づいた完成度が求められる。広島やフクシマを取り上げているあるコンセプト作家群に私が全くそそられないのは、彼らには世に出す作品を完成させるという意識が欠落しているからだ。藤井の展示空間にいてそんなことを考えた。
あと、所沢ビエンナーレで見た佐藤万絵子のビニール空間に再会できた。これもカサカサ言わせながらあちらこちらと潜り込んだ。
展示室を出て、中庭に向けて歪曲した長い通路を進んでいくと栃木美保の香りの作品がある。ひとつづつシャーレを開けて星座の名前のついた香りを楽しんだ。
通路の端から屋外に出て別館に行ける。ここはフランスの彫刻家フランソワ・ポンポンのアトリエを再現している。窓の外では木漏れ日が揺れていて居心地がよかった。ここなら監視もいいだろうなと監視の人に話しかけたら「ホントにそうです。ありがたいです」と言っていました。
本館のはずれにはちょっとした木立があって、いくつかのベンチが置かれている。ここから眺める芝生の広場と美術館の建物がまた素晴らしい。やっぱり美術館という空間を楽しむならここははずせないと確信した。思い出してもまだ気持ちがいい。ああ、行ってよかった。
美術館からちょっと行った所に白鳥の飛来地で有名な多々良沼があるらしい。徒歩だったのでこちらは残念ながら断念したが、彫刻の小径という公園は散歩した。群馬県の美術館は春のお出かけにちょうどいいという発見をした。