高松次郎 言葉ともの―純化とトートロジー@NADiff a/p/a/r/t
高松次郎 言葉ともの―純化とトートロジー@NADiff a/p/a/r/t
作品としては椅子とレンガによる「複合体」と写真を使った「単体」があった。他にも「影」シリーズや「単体」シリーズのアイデアスケッチが展示され、アーカイブとして興味深い。
平日の午前中だったが何人かの来場者があり、いまだに多くのファンがいることをうかがわせる。
コンセプチュアルであり地味な作品なのだが、こうして今でも多くの人々を惹きつけるのは彼の作品が解釈の余地を多く残したものだからだろう。
また、こうした知的興味に訴えかけるアートを受け入れいる層が国内にあること、そしてこうした作品を大事に伝え続ける者がいるからなのだろう。その意味で今回も企画協力として関わっているユミコチバアソシエイツを素直に尊敬する。
以前、トークイベントで話を聞いた松濤美術館の光田由里が高松の書籍を出したらしい。今でも新刊が出るという60年代作家もすごいが、こだわり続ける研究者もすごい。
ところでNADiffのブックストアで水戸芸の展示会「日本の夏1960-64 こうなったらやけくそだ!」の図録があった。お客さんも少なかったのでじっくりと立ち読みさせていただいた。
展示会そのものも興味深いが、巻末にある当時の国内前衛アート団体リストがすばらしい。地方の前衛アート団体というと挙げられるのはたいてい「具体」「九州派」「ゼロ次元」くらいだが、ここでは札幌、大宮、静岡などの団体にも目が行き届いており、貴重なアーカイブ資料だと思う。
展示会の図録というのは単なる展示会についての資料ではなくテーマについてのアーカイブであり、キュレーターの仕事は展示会を作ることだけではなく、資料の収集、保管、分類が本来の仕事なのだということを再認識させてくれた。