「VOCA展2011―新しい平面の作家たち」@上野の森美術館
「VOCA展2011―新しい平面の作家たち」@上野の森美術館
VOCA展は美術関係者の推薦による、主に40歳以下の若手の平面作品の美術展。
震災の影響でどの美術館も臨時休館する中、ようやくオープンした初日には、朝から待ちかねたと見られる多くのアートファンで賑わっていた。
40代までといえば既に名の知られた作家もいるが、もちろん初めての作家が多い。ここで初見の作家に、これからいろんな場所で再会するのかと思うと、流し見するわけにはいかない。
ひと通り見て、一番気に入ったのが澤田明子「ヒア」。麻布に岩絵の具の大きい作品。うつむきがちの人物とそれを見守るようにそそり立つ人ともモノともつかないもの。存在のためらいと保護の感覚が匂い立つ。
小川豊の「とき1005」と「とき1011」は、まだ乾いていないのではと思われるような盛り上がった絵の具がなまなましく迫ってくる抽象画。それがチョコレートのようでなんとも美味しそう。
戸谷森の「three AM two tree」は淡い色調の背景に木々が立体的に浮かび上がってくる構成が素晴らしい。なんとなく村瀬恭子の物語世界を思い出させる。
横野健一「繋がる」は、赤く塗ったベニヤ板を掘り込んで映像を浮かび上がらせる手法。廃屋の裏庭で交尾中の犬と、それを愕然とした表情で見つめる男(本人?)、そこらにはしゃれこうべが転がっている。饒舌な映像をシンプルな手法で抑制して見事。
一方、片山高志の「on the road」は、街中のモッブシーンを饒舌さを発揮して描きまくっている。隅々まで楽しめる作品だった。
熊野海の「Emission Nebula」は、ビーチにたむろする人々ときのこ雲というモチーフ。こう書くと、桑久保徹を連想するようだが、熊野には祝祭的な空気はない。むしろ現代社会の混迷がテーマのようだ。
片山も熊野も(桑久保も)巨大キャンバスに多くのアイテムを配置するという構図なのだが、かえって立石大河亞の名人芸や確信犯的キッチュを思い出して、まだまだと思ってしまう。
上田暁子の「とある熱を通り抜ける」は、夜の学校の幻想的ひとコマ。月の光に照らされる校庭や夜の花壇の匂いが伝わってくるよう。恩田陸の小説を思い出す。
しかし、この展覧会全体を通じて描かれる人物が女の子であることがとても多い。考えてみるとこれは現代の作家にあまねく事象でもあることに気付かされた。
アートにおけるジェンダーについての議論が数年前にあったと思うが、それが形を変えて奥深く浸透し、誰も顧みなくなっているように思う。あらためてアートが「女の子」をモチーフにすることはどういう意味なのかを考えなおしてみたい。