高谷史郎 明るい部屋@東京都写真美術館
この方はダムタイプの一派らしい。創設時からのメンバーと聞いたが古橋存命時の社会性からはとてつもない乖離があることがつくずくと感じられる展示だった。
暗箱であるカメラ・オブスキュラに対置するものとしてのカメラ・ルシダ(「明るい部屋」)らしいが、それが概念にとどまっている。
ファイバーオプティックプレートやらフロストフレームやらの新しい素材を通じて、どんな世界を見せたいと思っているのだろう。
ラインスキャンカメラはピクセル単位で明度を記録するためにレンズのようなゆがみがないという技術は分かったが、それによって記録したい映像が倒れたテーブルやソファなのか。
テクノロジーによって世界を記録・表現する方法の幅が広がったが、それならばアーティストは世界のどの部分を切り取るのか、そうしてどのように解釈するのかが仕事だろう。高谷にはそれがないと思う。
あるいはそれは世界には記録・表現すべき何もないという逆照射なのか。であれば制作し展示するという行為は何故なのか。
ネガティブな作家というのは昔からいる。しかし、彼らには虚無への粘着という冷温の熱度があるものだ。この展示室には適温しかなかった。
2010年のパフォーマンス「明るい部屋」も見たが「pH」の劣化コピーを見るようだった。