『台湾北部タイヤル族から見た近現代史-日本植民地時代から国民党政権時代の「白色テロ」へ』菊池一隆
台湾原住民族の近現代史、つまり日本時代の理藩政策および抵抗運動、太平洋戦争中の高砂義勇隊、白色テロ時代の迫害までを取り上げた歴史研究論文。広範なリサーチに基づいた公式記録や新聞記事などを引用しつつも、当事者から直接聞き取ったオーラスヒストリーにも重点を置いた、地に足のついた歴史研究である。
台湾の近現代史に興味のある者にとっては必読・必携の一冊であろう。そもそも目次を読んでワクワクしないでいることは難しい。
- プロローグ「抵抗・苦難・尊厳」
- 第一章「台湾タイヤル族の伝統生活と戦闘組織について」
- 第二章「台湾北部における日本討伐隊とタイヤル族」
- 第三章「日本・台湾総統府の理藩政策と各板山タイヤル族」
- 第四章「高砂義勇隊の実態と南洋戦線」
- 第五章「一九五〇年代国民党政権下での台湾『白色テロ』と原住民」
- エピローグ
まさに台湾史研究の空白を埋める労作である。このテーマでこれだけ充実した論文は類を見ない。日本ではもちろん、台湾本国でもこうしたまとまったものは見つからないのではないか。
さて、本書第四章では高砂義勇隊について当時の社会状況や制度を実証的に検証している。日本の戦記モノでは彼らの忠勇さや活躍を取り上げるものが多いが、本書では彼らのその後について詳しく取り上げる。
その中のひとつに暗澹としたエピソードがある。日本軍兵士として南洋で戦った経験のある、あるタイヤル族青年についてである。
彼は日本敗戦後に台湾に帰国したが、その後国民党軍に徴発されて大陸で中共軍相手に戦うことになったという。日本軍として戦闘経験のある高砂族部隊員は国民党軍にとっては貴重だったのだ。
しかし、その戦闘では国民党軍は敗北、彼は捕虜になった。その後、彼は中共軍に編入されることになる。中共軍兵士としていくつかの戦場で戦闘の後、さらには朝鮮戦争にも投入されることになった。
さらに悲惨なことはその後の文化大革命である。かつて日本軍兵士であった彼はそれを理由に民衆の非難の的となったのだ。結局、彼が台湾の家族の元に帰れることになったのは1994年のことであったという。
呉叡人「台湾、あるいは孤立無援の島の思想」でもこれのついての記述があった。他にも『僕は八路軍の少年兵だった』山口盈文も同様の経験を語って興味深い。
本書では他にも多くの興味深い事実があり、広く一般の歴史研究への示唆に富んでいる。
私は本書にある日本の理藩政策から、当時の列強国家(帝国主義国家)における現地人政策の比較研究の可能性があるのではないかと思った。
例え日本のそれは皇国史観に基づく皇民化教育であったとしても、日本人と同等の教育を表面上は施そうとしていたことは他の植民地経営、例えばスペインの南米、英国、フランス、ドイツのアフリカと比べて違いがあったのではないだろうか。
つまり日本は外地の原住民を日本人と同じ民族に変えようという意図があったのかもしれない。それはすでに日本を凌駕する歴史や文化を有する中国や韓国や台湾の民族にはかなわなかったことを原住民族では試みたのではないだろうか。それはあくまでも夢想の域を出ない思いつきでははあるが。
また、そこには西欧列強の新大陸の原住民への意識とは違った日本独特の考え方があったのかもしれない(部族群に共通の言語を与えることなく、それぞれで理解し合わずにお互いで弱体化してくれる方が好都合)。それについては論を待つべきだろうが、本書にある実証的な資料群がその第一歩になる可能性はある。
また、タイヤル族として生まれ、日本統治時代から光復後にかけて指導者としてまた医師として台湾原住民の地位向上に生涯を捧げ、あげく刑死したロシン・ワタン(日本名「日野三郎」、中国名「林瑞昌」)の人生から、台湾原住民の不断の苦闘が胸を打った。
それまで台湾原住民の生活を脅かす敵であった日本人(霧社事件など)。その言葉や教育を受け入れ、我が民族の保護のために日本国を利用しようとしたのが彼の人生の前半であった。しかし、光復後やってきた国民党軍によってそれまで彼の世界そのものであった日本的なものすべてを否定するように強制される。
社会制度や精神的基礎のみならず、原住民族語から日本語、そして華語と言語さえも変えるように強制される経験を何度もした彼の人生。そのことから、台湾の原住民族の人々の精神史はいかに過酷なものであったかがうかがえる。
日本の知識人もよく戦後体験として皇国史観から戦後民主主義への変化を恨みがましく語る者が多いが、言語すら変えることを経験した台湾人のことを思えばいかばかりのことかと思う。その変えることを強制された言葉さえも、そもそも彼ら独自の言語ではないのだ。
ところで、日本の理藩政策がいかに生活向上や文化向上と言い繕っても、結局は植民地政策とは搾取の方途に過ぎない。その目的は土地、労力、作物、資源の徴発である。
しかし、一方でそれまで各地方でそれぞれの言語で生活していた台湾原住民族に日本語をもたらしたことが種族間の意思疎通に貢献したことは指摘したい。そのことがその後の彼らの地位向上にいくばくかでも貢献したのならばと願うばかりだ。
さて、本書のスコープは白色テロ時代(1949-1987)までであるが、私はその後の台湾民主化時代における台湾原住民族の変化と現状について知りたくなった。
今日の台湾社会では原住民族保護に関する各種法整備によって状況改善があるのではと思うが当事者の実際はどうなのか、ノンフィクションやドキュメンタリーの翻訳がもっとあるといいのにと思う。
ネットで読める論文としては以下が見つかった。
『台湾における原住民族の権利獲得運動の到達点と課題─ 2000 年代以降の状況を中心に─』楊武勲