ミッシング・ピース東京展@代官山ヒルサイドテラス
宗教や仏教とは法事以外では縁のない私でも、ちょっと気になっていた展覧会。それで代官山ヒルサイドテラスへ行ってみた。
数ある宗教の中で現代アートと最もマッチするのは、チベット仏教=ダライ・ラマだと認識しました。
アート業界のダライ・ラマファンが集まって彼を賛美するとか、アートを使って中国に対するアジテーションをするとかのしょうもないものかと身構えて行ったが、いい方に裏切られた。
キュレーターが作家へ依頼したのは、「チベット仏教およびその体現者であるダライ・ラマのヴィジョン、理想、価値や平和への願いをあなたならどう表現しますか?」ということのみだった。
そして各分野の作家がその教えに触発されてすばらしい作品群を作り上げた。それは総体としてみると、よりよい世界のあり方へのヒントと世界平和への願いの空気に満たされた空間となった。
会場は各セクションの区切りにダライ・ラマの言葉があり、これを読ませてから作品を展示するという構成。作品点数が多くてヒルサイドテラスでは3会場でも足りなかったようだった。しかし、その分密度が高く、来場者の親密度も高まったように思う。
さて作品は、ダライ・ラマが若い僧に囲まれた印象的なポートレイトから始まり、チベットの今を表現する絵画、人の心を覗き込むことをテーマとしたインスタレーション、輪廻を触覚させるインスタレーションなど。
坂本龍一は自作の音楽の振動による砂曼荼羅を作っていた。
すごかったのはスピーカーつきiPodを20台ほど円形に配置し、世界中の各階層の人にあることをそれぞれ語らせる作品。いつもはバラバラにしゃべっているので当然ノイズにしか聞こえないんだけど、ある瞬間だけその声が同期してひとりの人の言葉がクリアーに聞こえる。誰の作品か忘れた、残念。
アブラモビッチは、チベットの僧108人の読経を撮影し、これを同時に再生するビデオ作品だった。それぞれの読経がうねりのように部屋を満たしていた。
監視のボランティアと話をしたら、一日ここにいると辛いらしいです。でしょうね。でも、さすがに長い時間作品と対峙している人らしく、それぞれの宗派によって読経の種類が違うことが分かる、どのように違うかというと、と説明してくれました。近頃では監視員というのは侮れないぞ、ということが分かるワタシ。
ところで、以前ここでやった憲法9条に関する展覧会はお客さん誰もいなかったけど、今回はずいぶんお客さん入っていた。ダライ・ラマは日本では人気あるのかね。
それにしても、ダライ・ラマはこの展示会では中国に対する非難がましいことや悲壮感をかき立てるようなことを一切言わないのに驚いた。あくまでもチベット仏教の教えである心の持ちようや、世界への見方、平和を実現するためにするべきことなどを淡々と語っているのです。
こんなことも言っていた。「中国に追われ、チベット仏教が国外へ亡命することになってよかったこともある。それは世界から隔絶されてきたその教えが世界に広がることのきっかけとなったからです」
きわめて冷静であり、それがかえって非暴力を訴える人の凄みを伝えているように思う。ちょっと私もファンになりました。
ボリュームたっぷりの展覧会で、気づくと2時間くらい会場にいた。