『わたしたちが火の中で失くしたもの』マリアーナ・エンリケス

『わたしたちが火の中で失くしたもの』マリアーナ・エンリケス

最近読んだ『秘儀』の作者マリアーナ・エンリケスによる短編集。怪異を扱った作品だけでなく現実の恐怖を扱ったものもあり、純粋なホラー短編集ではない。

ストリートチルドレンへの憐情と嫌悪をテーマとした「汚い子」「隣の中庭」。
過去の事件が現実を侵食する「パブリートは小さな釘を打った」「オステリア」。
恐るべき少女たちを描く「酔いしれた歳月」「学年末」「わたしたちにはぜんぜん肉がない」。
男性嫌悪を粘度高く描く「蜘蛛の巣」「わたしたちが火の中で失くしたもの」
など内容は多様である。

特にホラー小説として楽しめたのは愚かな女と奔放で賢い女が夫を「無いもの」にする「蜘蛛の巣」。これはアルゼンチンおよびパラグアイの田舎町の不潔さ、また暴力的で素行の悪い軍人たちへの嫌悪を背景に、不幸な結婚生活と男性への憎しみが高まっていくという良質なホラー小説。

同様に男性社会への嫌悪をテーマとした「わたしたちが火の中で失くしたもの」は女性に広まったある社会運動を描く。この社会運動は女性自らが自分の顔や身体を焼いて男性社会における女の価値を毀損していく、というものである。現実の男性社会において女性が自分の価値を認めさせるためにはこうした方法しかないのか、という現代の男性中心社会への厳しい疑問を投げかけている。

これを読んでナオミ・オルダーマンの『パワー』を思い出した。こちらはパワーを持った女性の痛快さと絶対分かり会えないジェンダーという生物関係への絶望感に満ちていたが、「わたしたちが…」では女性たちがひたすら自らの肉体を毀損していき、それは終わることがないという救いのないストーリーである。

私はこれらの小説は男女間の対立ばかりをクローズアップし、男女間の親密さとか信頼という実際にある感情を一顧だにしていないと思う。私はその姿勢に疑問があるのだが、これは私が男性だからなのだろうか。

ところでこの作家は1973年生まれだという。アルゼンチン軍事政権の残虐行為を実体験するには時期がずれている。私は今日という時代から自国の歴史の暗部を照射する小説を書くには持続する昏い熱意と小説としての悪意ある仕掛けが必要と思うのだが、この短編小説にはそれが見られなかった。とてもストレートな小説群だったという印象を受けた。

日本の作家で戦争体験者が持つ「明らかにせずにはいられない」「書かずにはいられない」という昏い欲望、例えば小松左京の「くだんのはは」「戦争はなかった」「地には平和を」のような、野坂昭如の「火垂るの墓」のような、あの時代と社会への恨みを伴ったこだわりがエンリケスには見られない。

本短編集と長編一冊を読んだ限りは彼女はホラー小説の背景にアルゼンチンの暗い時代を利用しただけだと思う。