「池田龍雄―アヴァンギャルドの軌跡」展@川崎市岡本太郎美術館
「池田龍雄―アヴァンギャルドの軌跡」展@川崎市岡本太郎美術館
向ヶ丘遊園駅からすぐのところにあんなに大きな森林があるとは思わなかった。その生田緑地のほぼまん中にある美術館で、近頃元気なオーバー70歳のアバンギャルド作家たちの中でも特に元気な池田龍雄の全記録展。
戦後すぐの前衛・アバンギャルド運動の頃からはじめ、エアブラシや立体による制作を試み、パフォーマンスや映画制作に関わった時期、さらに新作までと、彼の全仕事を網羅的に見渡せる展示会であり、さらに同時代の作家たちや団体の活動資料も同列に展示して盛りだくさん。
「外光を求めてアトリエを飛び出した印象派の作家たちのように、私たちは現実を求めて基地の街を歩きまわった」
ドキュメンタリー絵画の時代の「アメリカ兵・子供・バラック」のキャプションにあった言葉。私はやはりこの時期からアバンギャルド運動の時期の作品に最も惹かれる。
1954年のアンデパンダン展出品の「僕らを傷つけたもの 1945年の記憶」の未だ整理がつかない心情の発露や、精密なペン画で描かれた「化物の系譜」シリーズ「神童」の哀しみをまとった異形の表現などは、今日から振り返ればあの政治の季節とアバンギャルド表現の蜜月の果実だったと思う。
彼の表現技法としてのピークだと思うのは1963年の「楕円空間」。全体として見ると突き抜けた飛翔感があるが、近づいてよく見ると精密なモチーフによって構成されている。それ以前の社会と現実に密着していた時代を経てこの作品群にたどりつくとより一層深みと爽快感がある。
しかし、それ以降のエアブラシを使った「BRAFMAN」シリーズはマチエールの歓びが欠けていてさほど楽しめなかった。また、「万有引力」などの立体作品群も試みの域を出ないものだった。
思うにカンバスと絵筆と絵の具という道具ほど作家の頭の中にある不定形なものを現実世界に定着させることに適した道具はないのではないか。長いアートの歴史の中で平面作品がこれほど再生産されている理由をもう一回考えなおしてみたい、この時期の作品を見ていてそう思った。
それよりも彼の多方面での活動のアーカイブに興奮した。
タンジェリン・ドリームのLPレコードジャケットにBRAFMANが使われていたり、イタロ・カルヴィーノの「見えない都市」の装丁をしたり。最も感動したのが童話絵本「ないたあかおに」の挿絵が池田龍雄だったこと。私の幼児期の記憶が激しく呼び覚まされた。
その他にも数々の芸術家団体の活動記録、例えば「リアリズム(1956年)」「制作者懇談会(1955年)」があって、アート・アーカイブの点から極めて興味深い。研究対象として貴重なものだと思う。この種の資料はぜひとも専門の機関で保管・管理してほしい。もしかしてすでに保管されているのかもしれないが、なぜかアーカイブ資料に関してはキャプションに収蔵の記載がない。
この展示会での特にすばらしい出会いは、松澤宥の1971年の活動である「音会(おんえ)」の資料。長野県諏訪市の「泉水入瞑想台」の写真などがあって驚いた。そろそろどこかで松澤宥の展覧会やってくれないだろうか。彼の場合、「オブジェを消せ」なので展示物がほぼなく、簡単ではないだろうが。
展示構成について一点だけ懸念がある。それは池田龍雄本人の作品と同時代の作家たち、岡本太郎「夜」や中村宏「砂川五番」、立石紘一「何時、多くの他者たち」などが同列に展示されていたこと。
いずれも有名な作品たちなので近代美術のファンにとっては悦ばしいことであるが、それ以外の方々は混乱しないだろうか。壁面の色を変えるなど展示ゾーンに明確な差別があってもよかったように思う。
ちょうど小学生の団体がいて、彼らの記憶にどう残るのか気になる。