「福沢一郎絵画研究所」展@板橋区立美術館
日本のシュルレアリズム黎明期に大きな影響を与えた福沢一朗。そして、彼が主催した「福沢一郎絵画研究所」の作家作品による展示会。日本の前衛のなかでも特にシュールにしぼって、その戦前から戦中、戦後が俯瞰できる好企画。
福沢の「牛」や山下菊二の「転換期」など有名作品も楽しめるが、研究所に関わった作家たちのその後の変遷も興味深い。
彼らの初期の作品はダリ、エルンスト、あるいはブリューゲルの影響が顕著なものが多い。それがやがてシュールを離れ、前衛やプロレタリアート運動の流れに合流していく。
そもそもシュールレアリズムとは何だったのか。それは単なる現実を超えるモチーフを扱う具象絵画なのか、と問い直させてくれた。
私からするとシュールは時代に強い印象を残して行ったが、歴史のごく一時期を過ぎていった運動に過ぎないと思う。それを継続して発展させた作家が多くいたとは思えない。
シュールが現実の中にときおり立ち現れる現実を超えるなにものかをモチーフとするのであれば、作家は先ずそれへの接点を求めるのだろう。その点でシュールの作家たちは制作や創造とは違う行為に注力することになる。
戦中、戦後の時代の現実という、とてつもなく興味深い現象を前にして、シュールな感覚の追求は時代の背後に追いやられたのも無理からぬものと思う。
しかし、その興味や感覚はファインアートよりも、より一層巨大なマーケットであるSFアニメにおいて花開いていると思う。「パプリカ(2006)」の眩惑感、「サマーウォーズ(2009)」のサイバーワールド表現。
現代の子どもたちの精神世界への影響もはるかに大きいだろう。その意味で日本のシュールレアリズムは死んでいないと思う。
山下菊二の「転換期」ではその洒脱、諧謔に透かして浮かび上がる恐怖が楽しめた。
同じく山下の戦争画、「日本の敵米国の崩壊」は、タイトルとはうらはらに敵国に対する畏怖の念が浮かび上がる。やはり、どの戦争画も興味い。
箕田源二郎の「砂川の人々」に会えたのもよかった。それにしても砂川闘争はいかに多くの作家を駆り立てたのか、あらためて感慨がある。詳しく調べてみたくなった。
会場には研究所のチラシ、福沢のハガキやスケッチブック、加太こうじの紙芝居原画など、アーカイブも充実していた。
板橋区立美術館は小さな施設なのだが、日本の戦前からの前衛に関する骨のある展示会をときおり開いてくれる。その過去の展示会目録のバックナンバーが格安販売されていて興奮した。
「絵描きがとらえたシャッター・チャンス 日本のルポルタージュ・アート(1988)」、「昭和の前衛(1990)」を買ってしまった。「昭和の前衛」にある美術団体のクロニクルが素晴らしい仕事。