映画「ANPO」@渋谷アップリンク

映画「ANPO」@渋谷アップリンク

日本育ちのアメリカ人女性(リンダ・ホーグランド)による、日本人アーティストと60年安保の時代についてのドキュメンタリー映画。

朝倉摂、池田龍雄、石内都、東松照明、中村宏などその時代まっただなかのアーティスト。半藤一利、保坂正康、ティム・ワーナーなどの評論家やジャーナリスト。山城知佳子など生まれる前だが現在活動真っ最中のアーティストがその記憶や思いをそれぞれの作品を背景に語る。

60年安保については多くの評論や小説があり、自国の歴史としてそうしたものを読んできた立場からすると、この監督の見方は単純で深みに欠ける。この監督の見立てでは、あの事件は大きな広がりをもった国民運動であり、その後はその反動としての国民的挫折と失望だったという構図であるようだ。

しかし、その後の経済の高度成長の裏側で進行していた陰惨な事件(赤軍リンチ事件やあさま山荘事件など)の記憶から、私はすっきりとした見方ができない。

というように、日本人からするとこの時代についての映画は今さら感があるのでは?しかし、あらためてアーティストたちを中心に据えてのまとまったドキュメンタリーとしては見ごたえがある。
それぞれのアーティストが語るあの時代についての言葉は深みがあり、あらためてあの時代と現代につながるその後について再考させられた。

私にとって初めて聞く作家たち、石井茂雄や市村司、山下菊二などが残した作品から、あの激動の時代の気分がシュールレアリズムや前衛という表現手段を得、そして時代の徒花のように妖しく花開き、それが作家の命を吸い取ったのかとも思った。それは池田龍雄のシュールなモチーフや中村宏の妖しい人物にも息づいている。

インタビューの中で最も忘れられなかったのが沖縄の写真家・石川真生の言葉。「アメリカは大嫌い。でもそれを許している日本も嫌い。同じようにそれを認めている沖縄も大嫌い」

深く倒錯した憎しみと愛情の表出だった。こんなに深く乱れた感情を戦後から今日まで沖縄の人々に押し付けて見ていないふりをしているということを、本土の人間は先ず知らなければならないと思った。この乱れた感情は日本全土で共有しなければならないのではないか。

嬉野京子の有名な写真、アメリカ軍のトラックがひき殺した幼女の体を足元に立ちはだかる米兵たちの姿。東松照明の長崎被爆者のケロイドの顔の写真。
定期的に繰り返し、巡礼のように見なければならないアート作品というものがこの世にはある。