平川典俊「木漏れ日の向こうに」@群馬県立近代美術館
群馬県のアート巡りに高崎と館山へ行ってきた。在来線でのんびりと思ったが、群馬県立近代美術館まで3時間ちょっとかかってしまい、素直に新幹線にすればよかった。しかし、たどり着いた美術館は磯崎新設計の重厚なコンクリート造りでありながら軽やかな空間。
企画展の平川典俊は主にニューヨークで活動している写真家。作品は企画モノの組み写真が多かった。
日本の母娘に服装を交換させて正面から撮った「母は私、私は娘」。同じく「正面玄関」は地方出身の女性を渋谷の路上で横たわらせて一枚、その上に地元の母、その下に父をそれぞれ横たわらせた写真を配した組み写真。また、女性を男性トイレに座らせて居心地悪い印象をかもしだした「フロストバイト」。いずれも意図は分かるが映像が魅力的でない。むしろ著名人のモデルを使った方が皮肉がきいたかもしれない。
会場にはとにかくキャプションの量が多い。そこまで言わなくてもいいのに、と説明過剰な感じを受けた。
私は写真よりもインスタレーションを楽しんだ。入って直ぐのところにある「人為の共同体」は膨大な一円玉を使ったもの。横トリでジェイムス・リー・バイヤースが作った「ダイヤモンドの床」よりも直接的で風刺がきいている。
展示会場の中心に作った「木漏れ日の向こうに」もよかった。暗い空間に入るとまずはルームランナーをこいで発電する。すると中心の透明ボックスの4面に投影されたダンサーがパフォーマンスを始める。このダンスが素晴らしい。フランクフルトで活動している安藤洋子という方らしいが、立って歩いて振り向いてというわずかな動きから、揺らぎ、戸惑いなどの感情が読み取れた。生のパフォーマンスがあったら行ってみたい。
また、隣の囲われた空間で光のインスタレーションとともに流れる音楽がとても良い。インスタレーションはつまらないのだけど、じっと暗闇の中で聴き入ってしまった。後で資料を読んだら作曲のミヒャエル・ローターは元クラフトワークだったらしい。シンプルだけどドラマチックでどうしても最後まで聴きたくなる曲だった。
写真はいまいちだったけど、このインスタレーションのためだけにでも高崎まで行ったかいがあった。
それから2階の常設展へ。
近代の洋画では、佐伯祐三、国吉康雄などがあってうれしかった。長谷川利行「少女」(1935)はドローイングのようなシンプルな線ながら可愛らしい人物像。鶴岡政男の「夜の群像」(1949)は「重い手」にタッチがかなり近い。制作年代も近い。あと、福沢一郎の2枚の石膏を使った大きい作品が印象に残った。
現代エリアでは藤岡蕙子と佐久間美智子という方のファイバーアートがあった。これまでファイバーアートにはあまり興味をそそられなかったが、自由な造形に加えてテクスチャ感が心地良く、この分野への可能性を感じた。ファイバーアートもこれからもっと見てみよう。
その他、丸山直文のぼんやりとした映像を3点楽しめた。それから押江千衣子の花弁を描いた巨大な作品に惹かれた。「カシン」「あまいにおい」など、いずれに香りがただよってきそうな映像で、その前にいると昆虫になって引き寄せられて行くようだった。
鑑賞後はのどかな公園でお弁当。これも気持よかった。