松本竣介とその時代@大川美術館
興味はあるのだけど桐生は遠いから無理かな、と思ってたらある勉強会で縁があって最終日に行くことにした。結果として行って大満足。地方美術館の地道な研究と収集が実を結んだ珠玉のような展示会だった。
近美の常設に行く度に松本竣介の「Y市の橋」と「並木道」は見ていて、この作家には以前から興味は持っていたのだが、こうして全生涯展を見ると多くの発見がある。
10代の頃の素朴な風景画やナイーブな自画像、あの直線を封印した試みなども興味深い。しかし、私的にはこの展示会のハイライトは有名な「Y市の橋」(1944)をはじめ、「市内風景」(1941)、「運河風景」(1943)などの風景画が一同に展示されている小部屋だった。ここでは松本の深みのある青や薄い茶の背景や、理性的な直線をたっぷりと楽しんだ。
しかし、これらの代表作はいずれも人物の比率が小さく、松本はあまり人物を描かないのではないかと思っていた。しかし、1938年前後に描かれた「街」シリーズでは多様な人物をモダンに洒脱に描いている。
その中でも西欧を思わせる街並みの中心に若い女性を据えて、周辺に靴みがき、スーツの大人、行列する人々を配置した「街」(1938)は、ノイズのある青の背景に直線による建物、洒脱な人物を絶妙に配置した構図で、完成度がきわめて高い。ストイックな「Y市の橋」とは好対照な、親しみのある作品である。
ボランティアの方と少し話したのだが、なかでもこの作品は先代のオーナーが一番のお気に入りだったとのこと。それはよくわかる。
さて、本展示会では作品以外のアーカイブにも見るものが多かった。
松本が出版を手がけた「雑記帳」の誌面からは出版への熱意が伝わって来る。また、展示会場に適宜配置された松本や麻生三郎の文章がまた深みがある。当時の画家の文章は本当に精根をかたむけて書いている感じがする。
別室では松本の書簡が展示されていた。なかでも、疎開先の子どもらに宛てて書いた「絵入り書簡」が素晴らしい。空襲で焼け跡になってしまった地元の街並み、バラック、アメリカ兵などを愛情あふれる文章と共に描いたもの。
松本に限らないことだが、画家が家族に宛てた手紙はいずれも作品とは違った、人間性の表現としての価値がある。「どこからでも読める手紙」に家族がアタマを寄せていろんな方向から読んでいる風景が見えるようだ。
大川美術館は小さな施設で展示会もささやかだが、この作家の生涯を表現しようとする企画者の熱意がしっかりと結実している。作品の配置、キャプション、テキスト、アーカイブの展示がきわめて適切にされている。また、ボランティアにも作家と展示会についての愛着があふれていた。やっぱり気持ちのいい展示会は有名作品や大規模な仕掛けだけでつくるものではないと再確認できた。
桐生駅から幼稚園わきを抜ける近道では息を切らせたが、登り切ると景色がひらけて気持ちがいい。徒歩の方はこのアプローチルートがオススメだ。
最後に忘備として書くが、松本以外の作家では、野田英夫の「子供たち」(1936)の早熟な微笑に出会えたのがうれしかった。また、國吉康雄の「バーウィック近くの墓地」(1941)で彼の別の表情を垣間見た覚えがする。そして、中野淳の「道と煙突」(1947)と「水門」(1949)のリリシズムに新鮮な感動を覚えた。
遠かったけど満足度が高い、心が満たされる展示会だった。
こうした地方の小美術館がこれからも存続し、発展することを期待してやまない。そのための文化行政の支援を期待したい。