『鶴見俊輔集 4 転向研究』
鶴見が「思想の科学」の仲間と行った『転向研究』の中から鶴見単著の論文をまとめたもの。
これは戦後文化人の過去を興味本位で掘り返して批判するものではない。「転向研究」はともすれば「過ぎたことを水に流す」的考えからは反発されるようなことである。しかし、それをあえて取り上げてとりまとめたことは高く称賛されるべきであろう。
現代からすれば否定的意味を帯びる「転向」という言葉だが、戦争という時代における知識人の知的変遷が「転向」である。本書ではそれを量的に調査し実証主義的なメソッドを構築しようとする意図が読み取れる。これは近代以降の日本の思想とはどのようなものだったか、それが現代にどのように引き継がれているのか、地続きになっているのかを検証するため極めて重要な研究である。
本書の対象は戦前、戦中、戦後の期間にわたる。対象者も思想家(埴谷雄高、吉本隆明、清水幾太郎ら)、文学者(坂口安吾、吉田満、中野重治、太宰治、大宅壮一)、政党(日本共産党とその指導者たち)、政治家(近衛文麿、昭和天皇ら)、軍人(今村均、服部卓四郎)など多岐にわたり、ここに挙げた名前以外にも有名無名の数多くの人物や運動、活動が取り挙げられている。目次を見るだけで鶴見の広汎な知識に驚嘆させられるだろう。
どの章も折に触れて再読したいものだが、特に尾崎秀美については教えられるところが多かった。近衛内閣の研究機関の昭和研究会グループに所属し、やがてゾルゲ事件で逮捕、刑死。側近に共産主義者がいたことで近衛に衝撃を与えたと言われる。しかし、その転向の過程で明らかになった天皇制と社会主義との結合思想は極めて先進的である。本書ではかなりの項を割いて尾崎の転向について述べており、それは決して否定的な書きぶりではない。
その他、信仰と転向、翼賛体制の設計、昭和天皇の転向、大正デモクラシーにおける「新人会」、翼賛運動と科学、大宅壮一とアナーキズム、隣組制度運用の顛末など興味深い議論が展開されている。
ところで本書で中心に議論される戦前、戦中、戦後の時期には鶴見のように広汎な知識を集積し、議論を展開するような文化人が何人もいたことが思い起こされた。21世紀初頭の今日、メディアが「知の巨人」と口にする度に恥の感覚を覚えるのは私だけだろうか。
また、本書にあるような分厚い知識層とそれを支えるアカデミアの存在が日本の社会を不安定さから守っていることが分かる。逆に国民の熱狂がリーダーの選択と弾劾を繰り返す他国の状況についてネガティブな示唆をも与える。私は本書を読んでSNSの民主主義への影響についてもっとよく考えてみる必要が感じられた。