『台湾の半世紀――民主化と台湾化の現場』若林正丈

『台湾の半世紀――民主化と台湾化の現場』若林正丈

台湾近現代史の第一人者による研究者としての半世紀のエッセイである。そして、必然的に研究対象である台湾の半世紀を描くものになっている。論文ではないので明確なテーマや研究の道筋があるわけではないがその分肩のこらない読み物になっている。私はむしろ、ある人文研究者の半生として興味深く読んだ。

経済・民間・政治交流の面でも国民の好感度の面でも順調な今日の両国関係からすれば隔世の感があるが、若林が研究を開始した当時は台湾の近代史および現代史は研究対象としては世間的にもアカデミアにも認められておらず、またイデオロギー的にも取り扱いに注意が必要な分野であった。

それを研究対象として選び、現地に足を運び、民主化の胎動に心動かされ、やがてそのテーマを冠した学会を立ち上げることになるという、今日から見れば順調な研究者人生だろうが様々な迷いがあったことがこのエッセイからうかがえる。

若林を惹きつけた台湾の歴史と今日に私も惹きつけられているひとりなのだがそのエッセンスを感じ取れる文章を引用(孫引きも含め)しておく。

「住民自決」主張から四半世紀「台湾の定義はまだできていない」?

その「台湾の前途の住民自決」の主張の公然たる出現から、すでに四半世紀を超える時間が過ぎた。これまでに何が実現され、何が実現されていないのか。想起されるのは、本書にもすでに登場していただいている台湾の歴史家周婉窈氏が二〇〇九年に書いたエッセイの次のような一行である。

台湾の定義はまだできていない、しかし、台湾にできるのは再び外部の力が新たに台湾を定義してしまうのを待つことだけなのだ、などとは言ってくれるな。

この言葉に、特にその後半部分に、一九八三年選挙時当時の「党外」 リーダーの一人康寧祥の「台湾は今や三度目の運命の転換点に直面している」「台湾住民の命運をこの手で握ろう」という主張の二一世紀に響く谺を聞くことができるだろう。そして、周氏は、台湾はまだ自己決定できていない、自身の確固たる定義を有していないといっている。

当時「党外」の「台湾前途の住民自決」の主張には二つの部分があった。一つは、(A)台湾は命運の危機に際しているが、また再び外部のパワー(当時の言い方は「国際強権」、主に中国と米国を指す)により再度決定されてしまうことを拒否する、ということであった。これには台湾の国家が国際承認されていない状況に対する抗議も含意されていた。もう一つは(B)台湾の命運の選択に関して、当時の国民党一党支配の政治体制は住民の意思を反映できるものではない、故に民主化を要求する、というものであった。(p320)