展覧会情報ウィリアム・ケントリッジ 歩きながら歴史を考える そしてドローイングは動き始めた……
ウィリアム・ケントリッジ 歩きながら歴史を考える@東京国立近代美術館
木炭によるドローイングを書き足したり消したりしながらひとコマずつ撮影したアニメーションは、作家の故国である南アフリカの社会問題はもちろん、愛とその喪失、暴力と和解などの内面的テーマも扱っている。また、映画や演劇という手法に関する新たな試みやそれらへのオマージュもある。
展示構成はドローイング→映像→ドローイング→映像とシンプルな流れなのだが、テーマが多彩でかなり充実している。満腹になること請け合い。やっぱり「全人生・全作品」的な個展ならこうでなくては。最近では「全作品」ながら薄味の個展というのも多いけど。個展ってその作家の人生の濃さをあらわしますよね。
力強いアニメーション作品が堪能できる「プロジェクションのための9つのドローイング」の部屋ではヘッドセットを渡されて、作品ごとにチャンネルを合わせて鑑賞するという展示スタイル。なるほど、これなら多くの作品を一度に展示できる。横浜国際映像祭ではこんな工夫がみじんも感じられなかったなあとつくづく思った。一本あたり約10分で、全部で60分近くかかったけど、すべて楽しめた。
彼のアニメーション作品を観ていると、「今ある線を消す」って作家にとってどういうことなんだろうと考えてしまった。次のフレームのために完結した画面から一部を消し、書き足す。もちろん消した部分がうっすらと残っているので残像のように見える。そもそも一枚モノの絵を描くときも作家ってそれをしているのだけど、ケントリッジの場合、完結した画面を次々に消して行くのって辛いのではないだろうか。
フィルムの逆回しや水平・垂直の変換など映画創生期の特撮テクニックを取り上げた作品。鏡やレンズを使った立体視映像のインスタレーション、鏡面筒を使った作品もあった。そんなところに映像手法への作家としての素朴な興味が感じられた。
いずれの作品にしても音楽が秀逸。ショップで作品中の音楽CDを求める人がいたが、同感。売ってなかったけど。
ところで、これから鑑賞するにあたって、そもそもこの人は白人?黒人?それを知らないとこれからの鑑賞に不都合と思ったので、入り口のところで看視の方に聞いたら分からないとのこと。でも、しばらくしたらわざわざ探して来てくれて教えてくれた。素晴らしいホスピタリティ。素晴らしい対応。美術館のスタッフはこうでなくては、と感動した。