明治4年、琉球王朝へ納税して帰路についた宮古島の船が台風に遭遇し台湾南部で遭難した。船には宮古島の島主他、身分の高い者たちが乗っており命からがら上陸したが、地元の生蕃パイワン族に遭遇し不幸な誤解によってそのほとんどが殺戮されてしまう。
この事件を今日では「牡丹社事件」と呼ぶが、本書は台湾の原住民族プユマ族の作家パタイがその事件を書いた小説である。
日本サイドはともすればこの事件を歴史的影響を中心に描いてしまうことが多いが、台湾の原住民族がこれをどう描くのかに興味があって手に取った一冊。大きな物語に流れず、当時の原住民族のひとり、宮古島人のひとりの視点から外れることなく描かれた納得のパーソナルストーリー。
小説はふたつの民族の出会いが双方にとって不幸な結末を迎えるというものなのだが、それよりもこの原住民族部落の若者たちの頑健な肉体と素朴な精神、そして彼らが野山を駆け巡る様子に魅せられた。
彼らには過去に起きた事件やこれから起こることへの漠然とした不安はあるが、その不安に飲み込まれるということがない。彼らは伝統や秩序を守り、仲間と冗談を言って毎日を過ごす。
それに比して見劣りするのは宮古島の知識層が物事を決められないことや、互いに批判ばかりしていることのダメさ加減である。日本人作家なら批判的に書いても「本来なら…」などの言い訳を添えるのだろうがこの台湾作家の書き振りは痛快である。
それにしても夜な夜な部落に鼻笛の調べが漂い、即興の歌が響き渡るこの部落の求愛行動は夢のように美しい。これは原住民族作家のファンタジーかもしれないが、まさに理想郷的である。本書のポイントはむしろこの原住民族の健康な精神のあり方と笛の調べが漂う日々の暮らしの描写ではないかと思った。