『鬼火 底のぬけた柄杓』吉屋信子
吉屋の傑作小説選。
神に心身を捧げそれ以外を自ら排除した女性の人生の終わりを描いた「童貞女昇天」。戦後、けちな欲望に走った男と貧困に陥った妻女のぞっとするような顛末を描く「鬼火」。読者にいちがいにこうだったとは言わせない、納得させないという小説。これぞ小説の醍醐味だろう。
「嫗の幻想」では戦中に知り合った農家の嫗が終戦と占領の混乱に果に彼女が見たものを描く。日清戦争の悲劇の英雄、清国の将軍丁汝昌に日本の女性が涙するなどとは今日では信じがたいことだろう。今日伝えられる終戦直後の国民意識とは違ったものを伝えているのではないだろうか。
また、本作品集では絶版となった「底のぬけた柄杓」から貴重な3篇を読むことができる。
「墨堤に消ゆ―富田木歩」障害者として貧困にあえぎつつ俳人として認められたが大正震災で亡くなった木歩の青春と死。「底のぬけた柄杓―尾崎放哉」エリートとして出発しながらも破滅的な人生を小豆島の庵に終えた男。「岡崎えん女の一生―尾崎えん」。文人に愛された料亭の娘が老人ホームで生涯を終えるまで。
いずれも今日ではほぼ忘れられている俳人、しかしその時代の平凡な人々の人生の歩みを丁寧にすくい取っている。いずれも文学的価値とは違う、うまくいかなかった人の人生を慈しみを込めて描いたものである。