『南光』朱和之
日本統治時代から白色テロを生きた台湾の写真家、鄧南光(本名:鄧騰煇)。彼の生涯についての小説である。
各章ごとに作品にフォーカスし、それが撮られる前後の出来事を語ることによって彼の心象、またはその時代についての事象も描くという構成。思えば芸術家の人生を描く小説はたくさんあったがこうした構成は意外となかった。
南光の作品ではモダン都市・東京を撮ったものがともすれば話題になるが、私はこの小説を読んで彼の故郷である北埔の祭りや結婚式、葬儀の写真に興味を持った。
記録写真でなく被写体に入り込んで自然な表情を撮るというスナップ写真で台湾の地方文化を撮影したことは他に類を見ないと思う。
ところで、私が特に本書に感じたことは、この国の近代史を生きた人々を描いた小説にしては「辛い」とか「恨み」がほとんどないことだ。
それは南光が裕福な商家の出身だったこともあるだろう。しかし、この国では何度も統治者が変わり、共通言語でさえも変えることを強制された。なのであからさまな憎しみの感情を表面に出さないことが、その時代を生きた経験からの習い性になったのではないか。私は本書を読んでそう感じた。
台湾人がおだやかな民族であるという認識ではあまりにもこの国の時代背景に無頓着であろう。日本も台湾植民地化の一方の当事者である。そこに無感覚であるべきではない。
ところで、彼が台北に写真店を構えたとき(日本時代)であっても彼が日本語と客家語しか話せなかったという記述には驚いた。華語は仕方ないとしてその頃は台湾語を話さなくても不都合のない社会だったのだろうか。つまり初めての共通言語は、強制されたとはいえ日本語であり、日本語があれば不都合はなかったということだろうか。
さて、本書では南光と写真でつながった人々がこの小説の中心人物である。なので台湾芸術写真界についての貴重な記録となっている。ただ、同じ階層の人間が中心であるために小説としては少々ダイナミズムに欠けるところはある。登場人物に貧困層や迫害される者たちがいればとも思った。
大戦中に南光の兄弟が招集されたときにエピソードも興味深い。帝国軍人として大陸へ渡ったのは通訳としてだった。しかし、客家語と広東語がまったく別の言語であることを軍上層部が知らなかったため役に立たず、半年で台湾へ送り返されることになったという。
なんとも微笑ましいエピソードだが、当時帝国軍人は台湾人は二等国民であると思っていたはず。なので軍人の台湾人の扱いのイメージとかけ離れているようで納得がいかない。日本の軍人はそんなに物わかりが良かったのだろうか。
さて、本書には映像を喚起する多くの記述があるがそのうち特に印象に残ったものを挙げる。これに対応する映像を探してみたのだがみつからなかった。いずれも南光の家族を撮った写真である。
数日前、台北にいる鄧騰煇のもとに、母が危篤だと兄から電話があった。もし母のポートレートがあるなら、遺影用に何枚か引き伸ばして来るよう兄は言った。
祖母が家族を引き連れて台北へ遊びに来た時、書斎を撮影室に見立てて母のポートレートを撮っていた。正面、左側面、右側面が一枚ずつと、生まれたばかりの次男・永明を抱いた写真が何枚かあった。
どの写真もきめ細かい鮮明な画質だったが、それがかえって母の疲れと老いを際立たせ、大家の妻らしい優雅さを消し去っていた。電灯のせいで眉間に刻まれた皺に大げさなまでの悲壮感が表れ、永明を抱いた写真ですら、戦火のなかを逃げ惑ってきたかのような底知れぬ焦燥感に満ちている。
驚いた。彼は母が心に秘めていた人生の真実を、無意識のうちにカメラで写し出してしまったのかあの時はポートレートの代わりに、植物園で撮ったスナップ写真を母にあげたのだった。(p156)
二人は江戸城外堀跡の堤を歩いた。それは兄がよく話してくれた毎日の通学路だった。見晴るかせば視野が広く、気分がよかった。少し歩くと弁慶橋に着いた。橋のたもとに立派な桜の木が一本悠々と佇み、満開の花を誇っていた。この数日あちこち桜の名所をまわってきて、空を覆い尽くす桜が風に揺れる美しい風景も見飽きていたはずだったが、どうしてか桜の木の前で、父子はそろって足を止めた。
この桜の下で写真を撮ってくれないか。これまでずっとスナップ写真の撮影を拒んできた父が、突然言った。
うららかな春の日に咲き誇る桜の木に、後ろの欄干がよく映え、対岸にかかる木の橋が斜めに写り込む。五十一歳の父はステッキを握って花の下に立ち、ぼんやり遠くを見やっている。次の瞬間風が吹き、父の黒ずくめの紳士服に、白髪まじりの頭に、薄いピンクの花びらが降りかかった。陽光がちょうどよい具合に父の濃く短い影を地面に落とし、満開の花がその背中に寄り添っていた。鄧騰煇の心には、この時の父の姿が印象深く刻まれている。(p172)
有名な写真家であるだけあってGoogle画像検索ではかなりの作品を見ることができる。