『元職員による徹底検証 相模原障害者殺傷事件――裁判の記録・被告との対話・関係者の証言』西角純志

『元職員による徹底検証 相模原障害者殺傷事件――裁判の記録・被告との対話・関係者の証言』西角純志

19人殺害、26人重軽傷という戦後最大の被害者数であった知的障害者施設「津久井やまゆり園」で起きた相模原障害者施設殺傷事件についての論文集。

事件の犯人である「U」は同施設の元職員であったが、本書の著者、西角もタイトルにある通り同施設の元職員。現在は専修大学講師の社会学者である。

西角は本事件のすべての裁判記録にあたり、犯人および被害者家族との面談を重ねた。そうした上で近現代史における障害者問題のさまざまな議論を論考し、日本における障害者福祉の重要な課題を明らかにしている。

さて、本書では事件当時の職員の証言、被害者の家族、犯人の友人の証言などを引用しており、特に犯人の人間性についての考察が興味深い。

それによると犯人はいわゆる孤立した引きこもりではなく、友人も多く恋人もいた。事件の前夜には食事を共にしたガールフレンドもいた。しかし、あくまでもそれは大麻と脱法ハーブによってつながっている地元つながりの友人関係である。それはつまり、いわゆる地方ヤンキー的な友人関係ではないかと私は考える。

ところで、本書からは犯人とメディアとの関係について興味深いことが読み取れる。西角は第3章でカントの思想とカフカの小説を取り上げ、事件に関わる社会課題を分析しようと試みている。実際にカフカの「掟の門」を「U」に読ませ、その感想文を書くように求めることもしている。ここからは収監後、犯人が嬉々としてメディア(および西角を含む研究者)の面会取材を受けている様子がうかがえる。

劇場型犯罪の主舞台はメディアであろう。つまりメディア各社は一方では犯人と協調しているのだ。これに対し私はニュージーランド元首相の次の発言を思い出す。

アーダーン首相は議会で、「男はこのテロ行為を通じて色々なことを手に入れようとした。そのひとつが、悪名だ。だからこそ、私は今後一切、この男の名前を口にしない」

「皆さんは、大勢の命を奪った男の名前ではなく、命を失った大勢の人たちの名前を語ってください」と演説した

(ニュージーランド首相、銃撃犯の名前は今後一切口にしないと誓う/2019年3月19日/BBC)。

本書も含めであるが、メディアは彼の本名をその差別的主張とともに繰り返し挙げる。こうした劇場型犯罪に対し報道とはどうあるべきか、メディアは自らの社会的責任をどう捉えるのか再検討が必要ではないか。これは本事件において頻繁にクローズアップされる「被害者の匿名報道」についてよりも本質的に重要なことではないかと私は考える。

一方で重度知的障害者施設の日常的なモラルの低下についても指摘している。以下は西角が在籍当時に寄稿した同施設の機関誌からの抜粋である。

(前略)頽廃した施設は、利用者が悪いのか、職員が悪いのか。暇さえあれば、ベランダに出てタバコを吸う職員。 勤務中に携帯メールのやり取りをする職員。セクハラ発言や利用者に罵倒・罵声を浴びせる職員。利用者のトラブルを見て見ぬ振りをしている職員云々。こうした頽廃した施設の現状を顧みるとき、施設、ホームに新鮮さが感じられなくなっていることに気づく。
(『菜の花』第6号 p32)

同じく西角による事件被害者への追悼の言葉である。

(前略)事件以前から日常的にあったかもしれない不必要な身体拘束、居室への閉じ込め、さらには虐待や暴力を受け、それがどれだけあなた方を苦しめたのか。今もなお、施設での虐待が問題となっています。こんな不条理なことがあってもよいのでしょうか。自らを省みることができず、あなた方を守れなかった非力な私たち職員の至らなさをどうかお許し下さい。(後略)
(本書 p61)

しかし、本書には心情意見陳述として犠牲者(利用者)の家族による施設職員への感謝の言葉が多く取り上げられている。いずれも犯人への恨みと並べて職員及び施設への感謝が述べられている。

私はそれらの心情的陳述の背後にある語られなかった部分をこそ読み取るべき、という著者の期待をここから読み取ったが、それはうがちすぎだろうか。

ところで、重度障害者である参議院議員二人が判決を受けてコメントを寄せている。それは犯人の薄っぺらい主張・思想を真っ向から否定する強力なメッセージである。

参議院議員 舩後靖彦
(前略)私自身も障害者療護施設の入所時、職員から虐待を受けたことがあります。 入所施設は、職員と障害者の間に「上下関係」が起こりやすい環境です。重度障害者は当事者の実感として、生きてゆくことも、容易ではありません。施設に入る位の障害を持つ人なら、どの障害であっても、介助者によるケアを必要とします。このことによって、見えない「上下関係」が固定化してしまうのです。(後略)
(参議院議員舩後靖彦オフィシャルサイトより https://yasuhiko-funago.jp/page-200316-2/ 2020年10月閲覧)

参議院議員 木村英子
(前略)施設の生活は「好きな物を食べたい、外へ遊びに行きたい」そんなあたりまえの望みすら叶わない世界なのです。 そこに長く入れられたら希望を失っていく人は沢山います。そしてそこの障がい者を介護している職員も初めは志をもって接していても、家族でさえ担いきれない介護なのに、限られた職員の人数で何十人もの障がい者をみなくてはならず、トイレ、食事、入浴と繰り返すだけの毎日の中で、体力的にも精神的にも疲弊し、いじめや虐待が起こってもおかしくない環境なのです。(後略)
(参議院議員木村英子オフィシャルサイトより https://eiko-kimura.jp/2020/03/16/activity/646/)

さて、本書における最も重要な主張であり、最も強力な犯人へのメッセージは第12章「安楽死・尊厳死を考える」であろう。

本章では今日のNHK番組「NHKスペシャル 彼女は安楽死を選んだ」についての批判からはじめ、「ALS委託殺人」が取り上げられている。その上で現代社会における安楽死と尊厳死の議論で必ず俎上に上がる大田典礼の活動について記述される。太田はつい先日違憲判決が確定した優生保護法の制定者でもある。

太田は1976年に「日本安楽死協会」を設立。同団体は1983年に「日本尊厳死協会」に改称されている。本書では太田の尊厳死についての主義主張に対して「青い芝の会」ら障害者団体の強烈な反対運動があったことを指摘。いつでも個人の尊厳の尊重を脅かす動きに対し、最も強く反発するのはそれが真っ先にそれが脅かされる当事者である。

障害者活動において有名な同人誌『しののめ』で編集長の花田春兆はこう語る。

議論された声として提出されていないのはむしろ障害者の側の声ではないでしょうか。(中略)つまりこの論争は外でこそ火花を散らしているのです。(『しののめ』より孫引き p 297)

そして、武井三男、那須宗一、野間宏、水上勉、松田道雄らによって安楽死法制化運動へ真っ向から反対する運動が開始される。本書に引用されているこの「安楽死法制化を阻止する会」の声明は必読である。

反対運動の中心人物、松田道雄はこう語る。

強い立場にある医者と弱い立場にある患とが、治療の仕方について争っているとき、医者に患者を死なせる権限を与える法律をつくることは、さらに医者を強くし、患者にとっては不利であると考えます。(p 302)

だから、まわりの人間はどうして安楽に自殺させるかをかんがえるよりさきに、どうして十分に世話ができるのかをかんがえなければならない。(p 305)

どのような生であろうとその与奪件を強者が保有すべきではないということ。それは強者が自己責任と自己決定という言い訳のもとに弱者の生を左右することに他ならない。

この他、本章では現代史において障害者の尊厳についての多くの議論がなされてきたことを指摘している。こうした議論の積み重ねによって今日の障害者福祉制度があること。それが犯人の浅薄な考えへの強力な反論になっていることは明らかだ。

最後に障害者権利条約のスローガンをあらためて挙げておきたい。「わたしたちのことを私たち抜きで決めないで(Nothing about us without us)」