『大濛(霧のごとく)』@Netflix

『大濛(霧のごとく)』@Netflix

舞台は白色テロの真っ最中である1950年代の台湾。反政府活動のかどで銃殺された兄の遺体を幼い妹が家族にも内緒でひとりで引き取りに行くことになった。そして台北で危険な目に会いながらも偶然出会った気の良い車夫やそれまで会ったことがなかった姉の協力で目的を果たしていくというストーリー。

セリフが台湾語、華語、ときどき日本語であるところが良かった。車夫の若者も国民党兵士として闘っていたのだが台湾に渡ってきてからも苦労が絶えない。また、党に近いもの近くないものという外省人同士の格差も大きい。当時の台湾社会の複雑さと分断、そして、それぞれの苦しみが伝わってくる。

主人公の少女の姉は媳婦仔であった。売られた先の息子の嫁となることが決まっていたが家を出てレビューの歌手・踊り子となったらしい。それで得られた金が息子の学費になったのかと思うとやりきれなさが増す。

この近代の台湾独自の制度、養女、媳婦仔、査某嫺が近年の映画で取り上げられたのは初めて見た。しかし、これらの制度は日本統治時代に制度的には禁止されていたはず(実効性は別として)で、本作品の時代は1950年代だから日本統治が終わって10年も経っているのでギリギリなのではないかと思う。

しかし、纏足について取り上げた映画はまだない。佐藤春夫の小説にはあったように記憶するが定かではない。

ところで近年の台湾映画では白色テロ時代を背景に時代に虐げられた人々を描いた映画は多くはない。本作を往年の名作「悲情城市」や「牯嶺街少年殺人事件」と比較してしまうと、本作では時代が背景に退いた感がある。そうした時代を背景として、幼い少女と気の良い若者が台北市内をあちこちと動き回る映画となってしまった。

映画としては楽しかったのだが、あの時代はこのように軽妙に描くべきことだろうかという疑問は離れない。近年の映画でも「流麻溝十五號」の笑顔のシーンのように見るものの心に傷跡を刻みつけるようなものはある。この映画にはそうした時代の爪痕を現代人に残すようなものはない。この映画はつまり、「あの時代は苦労したがもう懐かしい思い出となった」としたいのか?とモヤモヤとした。まさに「霧のごとく」である。

実際の台湾社会にはあの時代をめぐってまだ多くのわだかまりがあるのではないだろうか。非道なことをした人間がいまも普通に暮らしている。耐え難い苦しみを強いられた人間ももちろん今の時代を生きていること。台湾政治の移行期正義の行く末はわからないがあの時代をめぐっての社会の和解は決してすっかり解決してる訳ではないと思う。